搭乗機は日航のジェット機で気楽だった。12時10分に動き出した。外は霧が深くあまり良く見えない。見送りに来てくれた孫はどこにいるのかしら。

1時過ぎから食事が出た。朝あまり食べられなかったので、すばらしい食欲を感じた。和洋食すべて食べてしまった。厚いビフテキがやわらかくとてもおいしかった。

通路沿いの席だったが、隣はご兄妹で静な人で助かった。私と同窓の方が通路を挟んで18C 、私は18Dだったので、よく話した。とても素朴そうな方で安心した。

2時台で鹿児島上空、3時台で台湾上空、4時台半ばで香港を過ぎ、飛行機は滑るように快適に飛んでいる。

成層圏は真っ青、太陽はぎらぎら輝き、私の体の調子もすこぶる良い。バンコクからの天気情報が入り、地上32℃、曇。私は静かに目をつぶって休んだ。何となく、この旅先が安らかな気がする。今から1時間半位でバンコクに着くという頃から少し機体がゆれてきた。

今から30分後にバンコクに着く。時計を2時間分前に戻して3時40分とする。

バンコクには4時40分着。停止20分。一時降りる。1時間待合室で休憩。降りると32℃という暑さ、上衣を脱いでも目に汗が沁む。待合室で果物、西瓜、パイン、バナナ等をだされたのでおいしく食べた。外へ出られない待合室はコンクリートの面が出たままの今建設中のような荒建で、暗い室内に裸電球がまぶしかった。色の黒いかわいいタイ娘が売る店で写真を取らせてもらう。木彫をひとつ買う。外を眺めたいが写真もとれない。タイの人もよさそうだ。日本語を話している。木彫、貝細工、皮細工、美しい織物など。

バンコクを飛び立って白ぶどう酒をスチュワーデスにたのんだ。この人たちは忙しそうに立ち歩いて夕食の支度をした。

まだ明るいのに眠くてならない。時間は3時間半も後戻りさせられ、7時である。日本ならもう10時半で眠っている時間だ。飛行機は太陽を追ってどこまでもいくので、いつまでたっても日が暮れない。

男の搭乗員も加勢してようやく夕食がくばられた。今夜は全然食欲がない。茶がついていて、小さな巻きずしがあった。お茶で流し込んで食卓が引かれて皆静かになった。しばらく眠った。スチュワーデスのアナウンスで目が覚めた。十五分でニューデリー国際空港につく。しばらくして、すばらしい光の行列、交錯、イルミネーション、壮大な、優雅な古都をおもう。8時半(1時間半もどし)に着陸。8時50分に出発。その間に背の高い色の黒いインド人が3,4人来て、タバコのすいがらの掃除をした。外人の乗客が数人あった。ここでは外に出ず機内で出発を待たされた。

しばらく眠った。

又時計を2時間ばかりもどして10時頃イランのテヘランに着く。空港に降りて大きなアラブ人の老婦人の店でネッカチーフを買う。1,500円位。イランの空港も美しい空港だった。

飛び立って時間を又2時間戻して12時51分。レバノンのベイルートに着く。立派な国際空港である。空港待合室に這入って朝までここで休むという。仲々話がつかずしばらく立つ。ようやく二階の食堂でジュースや紅茶などをのむ。つかれている。長い一日である。日本では朝の8時過ぎなのにまだ夜中である。

便所に行ったり、両替したり、レバノン人とかたことで話したり、何とか朝まで行かねばならぬ。

レバノン人の男は背が高く色も黒い方で買おの彫りが深く仲々男らしい。レバノン字をを書いてもらう。背の高い、45歳の立派な顔でとても社交家である。コーヒーを飲んで5時までここにいる。どこの人も皆いい。どうして戦争なんかするのだろう。

ようやく5時になろうとしている。空港の夜の幾十人かは目覚めて大した仕事もなく過ごしている。

駅前に出て写真をとる。駅前は立派な舗装道路だがよこへ行くと赫土のガラガラ土である。小さな小さなまっ赤なひなげしの花、紫ののぼり藤、まっ黄な小まりのミモザ、かわいいかわいい。美しい印象。